子どもの不登校で不安になったときは安冨歩さんの演説を聴くといい。

学校に行かないのではなくて、行けない。

娘はあいかわらず学校に行ってないし、おそらく4月から小学生になる息子も

学校には行かないであろう。

時々、学校に行かないで大丈夫だろうか?

と、不安になる時がある。

でも、そもそも、子どもたちは学校に行かないんではなくて

行けないのだ。行けない、というと何か具体的な問題(いじめなど)があるのでは

と詮索されるかもしれないが、そうではない。

『学校みたいな理不尽で意味不明なところには行く意味がわからない』

理不尽で意味がわからない場所にいたら不安でしょうがない、だから行けないのだ。

(これは子供が明言してるわけでなく、私の推測にすぎないが)

  

ちゃんと学校に行って、ちゃんと勉強してテストに合格して

いい高校行っていい大学行って、サラリーマンになる。

そんなふうに何も疑問を持たずに出来たら、どんなに楽だろうか。

  

今の日本の学校教育の中で、なんのストレスも疑問もなく育てるとしたら、

それだけで日本社会の中では、やっていけると思う。

  

でもうちの子どもたちはそうではない。

そんなところで無理して頑張っちゃったら、

ヘタしたら死んでしまう。病気になってしまう。

  

娘のクラスの教室では、小さな小さな水槽で金魚を1匹飼っているんだけど

あれは金魚は強い魚だからあの環境で飼えるのであって、

クチボソやタナゴだったらすぐに病気になって死んでしまうだろう。

  

学校は金魚じゃない魚に「お前も金魚にならないか?」と脅しかけて

クチボソやタナゴに自分が金魚であると思い込ませてるんじゃないか?

だから、アップアップしてる魚が増えてる。(2019年度の小中学校の不登校児は18万人)

「最近の金魚はよわいなーw」とか言ってるけど

それ金魚じゃないから!

  

金魚と思い込まされた魚たちは結局全滅して、

最終的に金魚だけの社会になるんだから金魚にとっては楽勝である。

  

だから「私は金魚ではない!」と気付いた子どもたちは

早々に学校社会から撤退したほうがいい。

  

常々、このように思ってるんだけど、たまに学校と関わりを持つと

やっぱり学校行ってないとダメなんかな・・・と弱気にもなる。

そんな時は安冨歩さんの街頭演説の動画を見て、

「そうだ!子供を学校に行かせちゃいけないんだ!」と心を強く持ち直すことにしている。

  

2019年7月の参院選、れいわ新選組から立候補したときの

街頭演説がすばらしかったので、ユーチューブに上がってる動画の

5分32秒頃から17分55秒頃までを書き起こした。

これでいつでも読み直すことができる。

プリントして壁に貼っておいても良いな。

  

とくに好きなところを以下に抜粋。

現代では、私たちは情報の嵐の中に、あるいは情報の洪水の中に、

いや情報の津波に呑まれつつあります。

インターネットがあってどんな情報でもアクセスできる時代に

わざわざ学校に行くって言うのは

大雨の日にわざわざ水浴びしに行くようなもんで

子供がなんでそんなことしないといけないの?と思うのは当然なんです。

You Tube 安冨歩の演説at堺市役所より

この国ではどんな差別も許されないはずなんですが、いろんな差別が横行しています。

特に恐ろしいのは、誰もが認めている差別、学歴差別です。

東京大学、私が勤めている東京大学に進学するような人はやっぱり偉いんだ、

大学教育にアクセスできないような人は劣っているんだ、

だからそれぞれの人が待遇が違っていても当然なんだ、

私たちは暗黙のうちにそう考えています。

You Tube 安冨歩の演説at堺市役所より

エリートの中にいい人を見つけるのは難しいです。

いい人間というのを維持しながら、難しい勉強して人々と競争して、成功することは

とってもむずかしいんです。

だから選び抜かれた人間に物事を任せると恐ろしいことになると私は思います。

普通の人間が、普通の顔して、普通の言葉で、大事なことを議論しないといけないんです。そうしなければ世の中はどんどんおかしな方に行ってしまいます。

You Tube 安冨歩の演説at堺市役所より

子どもたちの言うことを聞いてほしい。なぜならそこに私たちが従うべき真理があるんです。その真理にしがみついて進んでいけば、私たちはわけのわからないこの奇妙な地獄から抜け出して、豊かな、本当の意味で豊かな国を作り出す、社会を作り出すことができると信じています。

You Tube 安冨歩の演説at堺市役所より

安冨歩の演説at堺市役所、書き起こし

(5分32秒頃から17分55秒頃まで)

  

向精神薬が高いから、子供にちゃんと飲ませられないとなったら、

今度は子供医療費を高校まで無料化する。

そうすると、中学生や高校生にも向精神薬が無料で処方できるので、

たくさんの向精神薬が子供に処方されるようになっています。

何の為にそんなことをしているのかというと、それは学校というシステムを維持するためなんです。

こういうふうにですね、学校には大きな問題が現れてきています。

では、これは誰が悪いんだと言ってもですね、誰も悪くないんです。

文部省の役人も、学校の先生も、そして父兄も、そのシステムを、構造を前提にして

なんとか子どもたちのためになるようにと頑張っているんだと思います。

  

でもその、もっとも根本的なところが完全にずれてしまっていて、

明治時代には例えば、本だって何も手に入らなかったんです。

だから少しでも情報にアクセスしようと思ったら学校に行くしかありませんでした。

だから子供たちは喜んで学校にいったし、家が貧乏で学校にいけない子供たちは

学校に行く子たちが羨ましかったんです。

  

だけど現代では、私たちは情報の嵐の中に、あるいは情報の洪水の中に、

いや情報の津波に呑まれつつあります。

インターネットがあってどんな情報でもアクセスできる時代に

わざわざ学校に行くって言うのは

大雨の日にわざわざ水浴びしに行くようなもんで

子供がなんでそんなことしないといけないの?と思うのは当然なんです。

だからいろんな意味で私たちは社会の根底を変えないといけなくなってきている。

  

例えば学校は、私は、子供を守る基地に変わらないといけないって。

今の場所と人員と予算があるなら、その地域に住んでる子供たち全員に

ご飯を食べさせることは十分可能だと思います。

この町に住んでいる子供たちの1人でも、親に殴られて命を奪われるようなことが起きないように、

その子たちを守る施設に変わることは十分可能だと思います。

子供たちが寝るところがなくて不安に怯えている、安心して寝られないって時に

じゃあ学校で寝たらどう?って学校で寝かせることだって十分できると思うんです。

  

そのための予算や人員は十分あるというのに、十九世紀的な教育システムを維持するために、

子供に向精神薬を飲ませてまで維持しているというのは、私は本当に異常なことだと思います。

でも国民国家という私たちが知っている十九世紀の制度を前提に考えると、

そうしかできないって思ってしまいます。

  

そして何よりも恐ろしいのが学歴差別です。

この国ではどんな差別も許されないはずなんですが、いろんな差別が横行しています。

特に恐ろしいのは、誰もが認めている差別、学歴差別です。

東京大学、私が勤めている東京大学に進学するような人はやっぱり偉いんだ、

大学教育にアクセスできないような人は劣っているんだ、

だからそれぞれの人が待遇が違っていても当然なんだ、私たちは暗黙のうちにそう考えています。

でも学歴差別は全く意味がないです。

それはまるで身長順に人間をランキングして、背の高い人を重要な地位につけているのと変わらない、

いやそれ以上に良くないです。

まだ身長順に並べればいろんな人が入りますが、同じ偏差値の高い人ばかり集めたのでは

同じようなタイプの人ばかりが指導者になって、そして莫大な書類を作り、細かい法規を作り、

許可を取るといってご説明をしに来て、たくさんの書類で人々の意見を圧殺していくことになります。

  

どこに行ったって賢い人はいるし、どこ行ったって愚かな人はいます。

どこに行ったって良い人はいるし、どこに行ったって悪い人はいます。

いや、エリートの中にいい人を見つけるのは難しいです。

いい人間というのを維持しながら、難しい勉強して人々と競争して、成功することは

とってもむずかしいんです。

だから選び抜かれた人間に物事を任せると恐ろしいことになると私は思います。

普通の人間が、普通の顔して、普通の言葉で、大事なことを議論しないといけないんです。

そうしなければ世の中はどんどんおかしな方に行ってしまいます。

  

どうぞ、政治を専門家に任せないでください。私にも任せないでほしいんです。

私だってひとりぼっちで何百人の議員のなかに紛れ込んだって、ただ嫌われるだけで何もできないです。

政治というのは政治家がするものではないんです。

私たちの日常の行為一つ一つが政治性を帯びています。

私たちが子供に「学校に行きな」という一言は、政治的に大きな意味があります。

今日はしんどいけれども、やっぱりやらないといけないことがあるから、鎮痛剤を飲んで会社に行く、

そういう行為には大きな政治的意味があります。

一つ一つの行為は政治性を帯びているのだから、政治に触れないというのは不可能なんです。

だけど私は政治的なことには関心がない、政治には関わりたくない、政治は嫌いなんだ、

そのような言葉は非常に強い政治性を帯びた言葉です。

なぜかというと、それはこのシステムの作動に自分自身を投げ出して、

自分自身の子供たちを投げ出して、その餌食にすることに合意するという、

そういう政治的意味を帯びているんです。

ですから、どうぞ政治を、経済を、教育を、社会を、それぞればらばらにしないでください。

それは全部政治的であり、全部経済的であり、全部社会的な行為です。

私たちが集まったって社会はできません。

人間の集団ができるだけです。人間がお互いに繋がりあって関係性を持った時にそこに社会が生まれます。

私たちがどういう関係を他人と一人一人結ぶかってことが、社会の善し悪しを決めます。

でも社会ではお金が人間関係の代わりをしています。

お金によって、人間関係が繋がれるのと同じ効果をあげられています。そして私たちはどんどん

お金に頼っていって、お金さえあればなんとかなるし、お金がなければどうしようもない、

そういう世界に投げ込まれていて、それを当然と思っています。

でも、お金は人間関係の代わりに過ぎないんです。

そしてお金に依存すればするほど、人間関係は弱くなっていきます。

人々と繋がりがほとんどなくなってしまっているということが、私たちの社会の問題の本質なんです。

  

猫は何もしないでご飯食べて寝てるだけですが、でも私たちに大きな安らぎを与えてくれます。

人間も一人一人、猫とおんなじくらいかわいいんです。

私たちひとりひとり、猫や犬と同じくらいかわいいんです。

だけど、その恐ろしい見えないシステムに取り込まれてそこにエネルギーを奪われて、そこに人生を

奪われると私たちは醜くなってしまいます。

子供たちでさえ、システムに取り込まれていくと急速にその魅力を失っていきます。

命を奪われてしまうんです。とても恐ろしいことです。

  

どうぞ私たち一人一人、みなさん一人一人の人生をこの国民国家というわけのわからないシステムに

投げ出すのはやめましょう。

子供たちをその餌食するのはやめましょう。

もちろん、このシステムは私たちから全ての資源を奪っています。

全てのお金、全ての資源、全ての時間は私たちのシステムに飲み込まれて捨ててしまっています。

だからそこから離れて生きていくというのはとても恐ろしいし、大変なことです。

でもそのシステムの中で踏みとどまることはできるんです。

私は東京大学でほとんどまともに仕事をしていませんがちゃんと首にならずにいます。

私の同僚の先生たちはものすごく忙しいんです。ヒイヒイいって働いていて合間を縫って研究しています。

働き方改革でちゃんと休みを取るようにって書類が回ってきて、『こんなの意味ないじゃん。

だって休みの日は研究してるもん』って、私の向かいの女性の先生が言ったから、

私は『休みの日は研究したらダメですよ、休みになってないじゃないですか』って言ったら

『えっ・・・』ってびっくりしていました。それくらい、大学の先生は忙しくなっています。

なぜそんなに忙しくなってるのかというと70年代に学園紛争が起きたので、

大学の先生を暇にしておくとロクなことがない思ったので、これは大学の先生だけではありませんが、

学校の教師をヒマにしておくと学生に変なことを教えるし変な運動するから、

忙しくしちゃえっていう政府の陰謀だと思いますが、どんどん忙しくなっています。

でも私はそういう恐ろしいシステムに自分の人生を投げ込んだり、私の関係している学生たち、

研究者を投げ込むのは嫌だったので、異常なこと・意味のないことは拒否して、意味のあることだけ

やろうとすると、みんな、『頼むから何もしないでくれ』と言って仕事を減らしていくんです。

それでもちゃんと首にならないで仕事をしています。

もちろんそれは東大だからと思うかもしれないけど、それはあらゆる職場でそれなりにじゅうぶん

可能なことなんです。 

意味のあることをすると、この国では嫌われます。どうぞ嫌われてください。

そして意味のあることにしがみついてほしいんです。

  

ガンディーはそれをサッティアグラハと言いました。サッティアというのは真理という意味です。

真理というと大袈裟なようですが、サッティアというのは「本当のこと」という意味です。

アーグラハというのはつかまるという意味です。

サッティアグラハっていうのは「本当のことにつかまる」ってことなんです。

自分が「これは本当だ」と思えばそのことにしがみつけば、いろんな迫害を受けます。

嫌がらせをされます。だけどその馬に、真理という馬につかまっていれば、私たちはそこを駆け抜けられ

るんだ、とガンディーは教えました。

私はその教えを聞いて、真理を手放さないようにしようと思うようになりました。そしたら私の中には

小さな女の子が隠れていて、50歳くらいまでは普通の男の格好をしていて男だったと思っていましたが、

それが思い込みであることに気がつきました。

ですから私はどんなに変だと思われても、自分が女の子だと思うんだったら女の子として振る舞おうと

思いました。

これは当然ですけど私は経験したことのない、白い目を人から向けられるという、恐ろしい経験を

しました。そのことを通じて分かったんですが、誰もが白い目を向けるわけではないんです。

白い目を向ける人がいるだけです。そして白い目を向けない人もいます。手を差し伸べてくれる人も

います。その時に私は、白い目を向けられる私に問題があるんではなくて、白い目を向ける人が

問題なんだってわかりました。どうぞ真理にしがみついてください。本当のことにしがみつきましょう。

それは往々にして子供たちが教えてくれます。

子どもたちの言うことを聞いてほしい。なぜならそこに私たちが従うべき真理があるんです。

その真理にしがみついて進んでいけば、私たちはわけのわからないこの奇妙な地獄から抜け出して、

豊かな、本当の意味で豊かな国を作り出す、社会を作り出すことができると信じています。

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この記事を書いた人

リョウコ

1974年生まれ。子供が2人と旦那が1人で、東京都在住。
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