緊急事態宣言で考えた。日本も日本らしく生きたら楽なのかも。

呑気な緊急事態宣言、本当に先進国なの?

前回の緊急事態宣言とは異なり、飲食店への時短営業要請に留まった今度の緊急事態宣言。

学校も通常通り始業し、街も人出が目に見えて減っているようにはみえない。

しかし飲食業界の事情は全く異なる。

前回はあまり影響がない、と言ってた知り合いのお米屋さんは

今回は売り上げが3分の1くらいに落ち込んでるという。

飲食店の中には時短やるなら休業した方が出費が少ないと判断したり、

あるいは早々に撤退を決めた店もあるのだろう。

飲食店とそこに納品してる業者さんにとって今回の緊急事態宣言は大打撃だ。

夫の経営する居酒屋も前回は2ヶ月休業して従業員にも満額の給料を支払ったが、

今回はアルバイトさんには辞めてもらうという決断をせざるを得なかった。

飲食業界のバイトはこの先もきっと不安定なものになるだろうから

稼げるうちに他の業界に移行したほうがよっぽどいいと思う。

何しろ、お店が存続できるかわからないという状態・・・。

4月5月の時点では、私は「他の先進国同様、検査と隔離を徹底して早期に収束してほしい」と

願っていた。まだ日本が先進国であると疑っていなかったのだ。

でも、都知事選では小池百合子が大勝して、

GO TO TRAVELとかいうキャンペーンを国民が普通に受け入れて

普通に盛り上がって、

国はまだまだオリンピックをやる気満々で。

次第に「もしかして日本は先進国でも民主主義国家でも既にないのでは?」と

疑念が生じてきた。

政府は新型コロナウイルスの流行を収束させる気が最早ないのならば、

もう何もしないで、ほっといてほしい・・・とすら最近は思っている。

感染者数の発表とか、もうしないでいいんじゃん?って。

CNNを見てると欧米諸国は、日本とは比べ物にならない程

深刻な状況で、各国政府は必死こいて対策している。

でも、日本のテレビニュースにチャンネルを替えた途端、

「コロナはただの風邪なんちゃう?」と私でさえ思ってしまう。

国が呑気すぎて、恐怖に感じている人の方が大袈裟なんじゃないかと

錯覚してしまう。

欧米がすごいとか、中国・台湾・韓国がすごいとか

日本がまるでダメだ、とか単純に思ってるわけではない。

なんというか、自分が憧れていた西洋式の民主主義とか

自由・人権といった概念がそもそも日本に馴染まないんじゃないか?

このように、新型コロナへの各国の対応を見ながら

日本について考えるようになっていった。

前回のは「緊急ケガレ宣言」

先日、ユーチューブで清水有高さんと安富歩さんがお話してるのを聞いて、

その考えがあながち的外れなものではないと確信した。

最近、この一月万冊という清水有高さんのやってるチャンネルを

夕ご飯を作りながら聞いている。安富さんのお話される回が断然面白くて好きだ。

で、この【日本独自の感染症対策を考える】という配信の中で安富さんが

日本ほど、西洋のやり方を丸呑みにした国は他にない、だからこそ経済成長した。

150年くらい丸呑みにしてきたのだから、これ以上「西洋はこうだから」でやれと言われてもムリ。

そろそろ消化して、日本式のやり方にしないといけない、

という趣旨のことをおっしゃっていた。

そして、日本の伝統的な価値観、すなわち

日本人の持つ差別意識・同調圧力を利用して感染症対策をした方が

結果的にうまくいくのではないか、と。(という思考実験です、と番組の最後に言ってます)

また、前回の緊急事態宣言は「緊急ケガレ宣言」だったから効果があった。

第一波が落ち着いて、GO TO キャンペーンをやったことで

「経済を回さない奴は非国民」と価値が転換してしまったので、

今回の緊急事態宣言ではみんな自粛しないだろう、

という解説には大いに納得してしまった。

感染症の日本史

動画の中で、『感染症の日本史』(磯田道史著、文春新書、2020)という本が

紹介されていたので、キンドル版を買って読んでみた。

菅首相が正月に「わざわざ本屋に行って」購入した本らしい。

第三章「江戸のパンデミックを読み解く」を読んだら、

幕末にコレラが大流行した時

大坂では薬効のほとんどない薬を配って実績にしようとした、とあって

その精神がイソジンに受け継がれているのかと笑ってしまった。

江戸時代の感染症対策は各藩ごとに様々で、

徹底した隔離と十分な補償で藩主の感染を防いだ岩国藩や、

行政機能を止めずに領民への生活支援と医療支援をした上杉鷹山の逸話を読むと、

江戸時代の方がよっぽど国としてまともだったと言わざるを得ない。

日本の中心に日本を、私の中心に私を。

自分の住む国だから、もっと素晴らしい国になってほしい。

もっと多様性が認められるべきだし、

個人の自由や尊厳が配慮された暮らしやすい社会になってほしい、

とかなんとか、やっぱり考えていたのだ、私も。

これだって、日本が先進国だと思っていたから、

日本が民主主義国家だと私が思っていたからにすぎない。

でも違う。日本は昔から民主主義に憧れているだけで

その魂は理解することができないし、そもそも向いてない。

アメリカの国会議事堂占拠の映像を見て、

色んなものがこの人たちとは違う、

どっちがいいとか悪いとかではなく、ただ違うと思った。

私は日本の同調圧力と差別意識の強い社会で生きていくのは

正直しんどいなと思う。でもその部分がまさに日本の真髄、

短所であると同時に長所でもあるんだろう。

日本という国の正体がそういうものであるなら

ありのままの日本を生きられない日本はかわいそうな国かもしれない。

日本という国の中心に<西洋>ではなく、

<新しい日本>を据えられる日がくるといい。

そして私も、どういう社会であっても確立した個をもって

自分の中心に私を置いて生きていきたいものだ。

この記事を書いた人

リョウコ

1974年生まれ。子供が2人と旦那が1人で、東京都在住。
詳しいプロフィールはこちら。