この子を何とかしなければと思う私は「課題の分離」が出来ていないのだ

闘いごっこに敗れて泣く息子

息子は幼稚園に週に二回だけ、行っている。

 

先週の金曜日は登園したのだが、

幼稚園終わりにはいつも、お友達と「闘いごっこ」をして遊んでいる。

最近は「鬼滅の刃ごっこ」になりつつあるが。

 

それで、まあよくあることだが、

最初は楽しく遊んでいたのだが

だんだんガチのケンカになってしまい

最終的には息子は泣き出してしまった。

 

「もう、みんな、大っ嫌いー!」

「もう、幼稚園なんか、行かないっー!」

 

と言いながら、私にしがみついて泣く息子をなだめながら、

かわいそ、と思いつつも

闘いごっこしてたのだからしょうがないよな、

ともやはり思うし、

弱いから負けるのだよ・・・とも思った。

 

コンビニでお菓子を買ってあげたら、

すっかり機嫌もよくなった様子で

色々話してくれた。

 

4人で戦ってたのが、気がつくと3対1になってた。

自分の仲間だと思ってた子たちが相手側についたのが

悲しかった。

 

そうか、そうか。そりゃあ、悲しいねえ。

でも、週に2回しか来ないうちの息子より、

毎日会うお友達の方の味方をするのは

まあ、しょうがないことだな。

根回しっていうのをしとくんだよ、そういう時は。

(私は出来ないけど)

 

それから息子はゲームをはじめて、幼稚園の出来事は

もうすっかりどうでもよい、過去のことになったみたいだった。

 

しかし私は、そこから、

 

(やっぱ、お友達をつくるために、わたしが積極的に介入した方がよかったのではないか?)

 

とか

 

(やっぱ、もうちょっと頑張って幼稚園に行かせた方が良いのではないか?)

 

とか

悶々と、考え込んでしまい、

 

(私が、コミュ障だから、子供たちもお友達ができない・・・)

 

とか

 

(お友達もいない、勉強もしない、では将来やっていけるのだろうか・・・)

 

等々、ネガティブモードに陥り

仕舞いには頭痛がしてきて、土曜の午後から寝込んでしまった。

 

日曜日は、おとーちゃんが家のこと全部やってくれて

ご飯も作ってくれた。ありがとう。おかげで持ち直した。

 

悩んで八方塞がりになるのは「課題の分離」が出来てないから

私はしばしば、こういう事態に陥るのだが、

これは「課題の分離」が出来ていないせいだと思う。

 

「課題の分離」という言葉は、アドラー心理学の本で読んで知ってるだけで

詳しくはよく知らないのだけど、

要は「自分の仕事」と「他人の仕事」がごちゃ混ぜになっちゃうと、

人間関係の悩みが生じるから

自分と他人のそれぞれの課題を分けて考えましょうね、ということ。

 

検索したら、アドラー心理学入門書にして大ベストセラーである『嫌われる勇気』(岸見一郎、

古賀史健、ダイヤモンド社、2013)の中の、

「課題の分離」について語られている章を紹介してるわかりやすい記事があった。

 

以下、『嫌われる勇気』からの抜粋。

哲人 たとえば、なかなか勉強しない子どもがいる。

授業は聞かず、宿題もやらず、教科書すらも学校に置いてくる。

さて、もしもあなたが親だったら、どうされますか?

 

青年 もちろん、あらゆる手を尽くして勉強させますよ。

塾に通わせるなり、家庭教師を雇うなり、場合によっては耳を引っぱってでも。

それが親の責務というものでしょう。現に、わたしだってそうやって育てられましたからね。

その日の宿題を終えるまで、晩ごはんを食べさせてもらえませんでした。

もう、ここの箇所だけで、「あー!それ、わたしのこと!」って感じだ。

 

今日は息子のことで悩ましいけど、

普段はこの数倍、娘のことで悶々としている。

全く勉強しない娘に対して、何とかして勉強をさせようと頑張ってしまうのだ。

 

だから、私は娘に対しても息子に対しても、「課題の分離」が出来てない、っつうことである・・・。

 

「課題の分離」の話はこう続く。

曰く、

勉強をしないで生きてきたツケは、結局本人が支払うことになる。

勉強は「子供の課題」だから、そこに親は介入するべきではない。

 

ただ、アドラー先生は子供を放任せよと言ってるのではなく、

子供が何をしているのかを知った上で、見守ることが大事だと述べている。

 

私などは放任主義で育ってきているので、勉強もしてないし

習い事も身についたものは何もない。

そんな私は大人になってから

「親が勉強しろってうるさく言ってくれたらよかったのに」と思った。

 

私の親は、介入はしなかったけど見守るというよりは

無関心というか・・・。

私は、何をどうすれば良いのか全くわからなかったのだ。

勉強にしても、何にしても。

 

だから、私は子供に対して「勉強した方がいいよ」と言ってしまうのだ。

それは自分がそうして欲しかったからで、

私の子供たちは、当然のことながら、私ではない。

 

しかし、自分は勉強しないで、ルンルンボケボケ、楽しい子供時代を過ごしたくせに

自分の「果たせなかった夢」みたいなものを子供に押し付けようとしている。

子供たちの「楽しい子供時代」を犠牲にしてまで。

 

このことは実は、すでに私は気付いているのだが

目の前の子供に対して、信頼して介入しない、ということが

現状では出来ていない。

 

『嫌われる勇気』から、再び抜粋。

 

青年 むずかしい、むずかしいですよ、それは!

 

哲人 もちろんです。でも、こう考えてください。

他者の課題に介入すること、他者の課題を抱え込んでしまうことは、

自らの人生を重く苦しいものにしてしまいます。

もしも人生に悩み苦しんでいるとしたら──その悩みは対人関係なのですから──まずは、

「ここから先は自分の課題ではない」という境界線を知りましょう。

そして他者の課題は切り捨てる。

それが人生の荷物を軽くし、人生をシンプルなものにする第一歩です。

 

子供たちの人生は私の人生じゃない。

そのことを、自分によく言い聞かせて、

子供たちの生き方が自分の思惑と違ったとしても信じて、愛する。

 

むずかしい、むずかしいですよ、それは!

 

この記事を書いた人

リョウコ

1974年生まれ。子供が2人と旦那が1人で、東京都在住。
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